CD付き!(7曲収録)》
臼井先生作詞・作曲の『しあわせ運べるように』を収録したチャリティーCDブック発売中!
皆さんへ、しあわせ運べるように
~作詞・作曲家からのことば~
天使の歌声で届ける「復興と希望の歌」
『しあわせ運べるように』が生まれた瞬間、私はこう思ってました。清らかでやさしい子どもたちの歌声が、光のようにキラキラと降り注いで、被災地を照らし、包んでほしい。子どもたちの天使の歌声が舞い降りてきて、この街の復興を祈ってくれている、と。
この歌は、1995年1月17日の阪神淡路大震災から約2週間後に生まれました。誕生から今日まで、「復興のシンボル曲」「希望の歌」として、神戸の子どもたちをはじめ、たくさんの方々に大切に歌い継がれています。2004年10月23日の新潟中越地震の際は、神戸から被災地へ届けられました。その後、英語、中国語、フランス語、ペルシャ語、トルコ語、イタリア語、カンボジア語、ハンガリー語にも訳され、海外でも歌われています。
そして、2011年3月11日の東日本大震災後以降は、東日本の被災地に広がり、たくさんの方々に歌っていただいています。
兵庫県神戸市東灘区で生まれ育った私は、阪神淡路大震災で被災し、自宅が全壊しました。1階がペシャンコになり、2階が1階の高さに崩れ落ちました。その日は、目覚ましが鳴るよりも10分ほど早く目が覚めて行動していたため、たまたま命が助かったのです。あと数分2階に上がるのが遅かったら、自分も死んでいたことでしょう。
私は長年、神戸市で小学校の音楽の教員をしており、当時は子どもたちのための歌を150くらい作詞・作曲していましたが、地震をテーマに歌を作ろうなんて考えたことは全くありませんでした。震災後、勤めていた小学校は避難所となり、私は救援物資を配ったり、被災されている方々のお世話をしたりする毎日で、歌を作ることなど考える余裕がなかったのです。ただただその日を生きることに必死の状態でした。
しかも、自宅が全壊したため、小学校に駆けつけるのが出遅れた私は負い目を感じていました。さらに、すでにバリバリ働いている先生方を目の当たりにし、音楽の教員なんてまったく役に立たない、死んでいたほうが楽だったかもしれない、と思うくらい精神的に追い込まれていたのです。
そんなとき、たまたま夜のニュースで、神戸の中心である三宮の映像を目にしました。青春の思い出がいっぱい詰まった街・三宮が崩壊している姿を見た瞬間、「あぁ、神戸の街が消えてしまった。もうおしまいや……」と思いました。
同時に、「神戸」というふるさとに対する愛情というのを初めて強く感じました。あまりに大きな絶望と、それを受け入れなければ生きていけないちっぽけな人間という存在。そしてふるさとがきえようとする大きな悲しみ――。三宮の映像を見た瞬間、思いがこみ上げ、歌詞が心の奥からわいてきて、思わず近くにあった鉛筆と紙を手に取りました。歌詞にメロディーをつけ、わずか10分でこの曲はできあがったのです。
それぞれのふるさとを思いながら…
『しあわせ運べるように』を東日本の皆さんに届けるにあたり、歌詞の「神戸」の部分を「ふるさと」に替えた「ふるさとバージョン」をつくりました。それぞれのふるさとを思いながら、ご自身のふるさとが生まれ変わることを願って、歌っていただければ幸いです。
震災のニュースを見ながら、ふるさとの大切さ、愛おしさ、美しさに思いを馳せた方もいらっしゃると思います。そういう思いを歌に乗せて、一人でも多くの方の心にこの歌が響き、亡くなった方々への鎮魂に、生き残った方々の希望になることを願っています。皆さんに、しあわせ運べるように。
臼井 真